標高1,600~2,000mで、約10万年前の火砕流と溶岩で形成された広大な台地である。湿原となり池塘が発達している。仏教の受容により、夏季には高山植物が咲き乱れる穏やかな高原地帯であることから命名されたものである。
HERITAGES
立山・黒部地域の文化遺産
真川の跡津川断層(露頭面)
跡津川断層は総延長約60kmの世界的にも活発な活断層で、安政5年(1858)のM7.1の飛越地震の震源地である。露頭面は左右の地層が断層線で真直ぐにずれており、左側の花崗岩と右側の礫層が垂直方向に約60mで明瞭にずれている。
白岩堰堤
昭和14年に建設された本堰堤の高さ63m、7基の副堰堤も含めると108mの高さを誇る日本一の重力式コンクリート砂防堰堤である。立山砂防の基幹堰堤で、カルデラ内の約2億立方メートルの土砂を調整する機能を有している。「砂防の父」と呼ばれる赤木正雄が計画した堰堤で、常願寺川流域直轄砂防事業の初期構造物である。平成21年6月には、全国の砂防施設として初めて国の重要文化財に指定された。
本宮堰堤
常願寺川本流に設けられた昭和12年建設の大規模な重力式コンクリート堰堤である。日本最大の貯砂量500万立方メートルを誇り、堤長107m、越流部堤高22mで、表面は間知石積と景観に配慮した外観を呈する。
泥谷堰堤
立山カルデラの湯川最深部に昭和13年に建設された重力式コンクリート堰堤である。標高差122m、延長457mの区間に堰堤20基、床固3基が連続的に築かれた階段式砂防堰堤群である。
立山砂防工事専用軌道
昭和4年に立山カルデラ内の工事のために建設された砂防工事専用の資材運搬軌道である。軌道延長は18kmで、急勾配のため、世界的にも例を見ない全区間42段、樺平区間だけでは連続18段のスイッチバックが設けられている。
立山カルデラ
常願寺川の上流部で東西約6.5km、南北約4.5kmの楕円形の巨大な窪地であり、長期にわたる侵食と安政5年の飛越地震の大鳶崩れによる大量の土砂が堆積する。現在、大規模な砂防事業が継続されている。
立山温泉跡
立山カルデラの西端に所在した立山温泉は、天正8年(1580)頃から昭和44年まで多くの文人墨客で賑わったいわば文化サロンであった。立山登拝の基地としての機能も有し、ウェストンやデ・レーケなど著名人が来湯した。
浮田家住宅
江戸時代の黒部奥山廻役を務めた役宅の建物で、文政11年(1828)の木造平屋建寄棟造の主屋、寄棟造茅葺の表門、切妻造桟瓦葺の土蔵が配置される。安政5年(1858)の飛越地震においては、立山カルデラの土砂崩壊の状況調査の任にあたった。
黒部峡谷附猿飛並びに奥鐘山
北アルプスの隆起と侵食によって形成された日本一深いV字形の大峡谷で、両岸の深緑と断崖絶壁の様相は世界に誇る優美な自然景観である。立山、剱岳と後立山の山頂から「十字峡」や奥鐘山までを含み、藩政時代には黒部奥山廻役の監視下で森林の保護が図られた。
薬師岳の圏谷群
薬師岳の東側の稜線に沿って4箇所の圏谷が並ぶ。氷河期の2万年前に形成されたもので、大きなもので南北400m、深さ200m程の大きさを誇る。
上滝発電所
旧県営電気事業の施設として大正13年に建設された発電所で、上流の松ノ木発電所から落差66.9mで3基の水車で発電する。鉄筋コンクリート造平屋建の建造物である。